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行き過ぎない紫外線対策のために

太陽の子孫たちの生老病死と日焼け止め

太陽の子孫たちの生老病死と日焼け止め

日焼け止めを使用したアンチエイジングのランキングについて考えておりますと、仏教の開祖であるガウタマ・シッダールタのことがどうしても連想されます。

というのも、仏教の開祖であるシッダールタは「日種族」であったと伝えられているからです。「日種族」というのは、「太陽の子孫」というような理解で間違いではないでしょう。

そんな「太陽の子孫」であるシッダールタの出家の動機としては、「四門出遊」という説話がよく知られています。この「四門出遊」の説話は、シッダールタの思想の一つである「生老病死」へと繋がっているものです。

生老病死とアンチエイジングの日焼け止め

「四門出遊」は、シッダールタが東の門で老人、南の門で病人、西の門で死人を見たことにより、「生きる」という時間のなかにおいて、「老いの苦しみ」「病の苦しみ」「死の苦しみ」という「人間が抱える大きな三つの苦しみ」から人はどうしても逃れることはできないということをシッダールタが知り出家する説話です。

「生老病死」は、それら三つの「人として避けられない苦しみ」を直視しながら苦悩とともに生きることを「生きる苦しみ」として受け入れた「四苦」についての考えです。

私はシッダールタの専門家ではありませんし、何も、布教のためにこのようなテキストを書き始めたわけではありませんし、シッダールタの伝記を書こうなどと考えているわけでもありません。

ただ、「太陽の子孫」であるシッダールタが、「人が生きていくうえで避けられない苦悩」として「生きること、老いること、病むこと、死ぬこと」という「四苦」を見出す地点から悟りの道を歩み始めたということが、「日焼け止めを使用したアンチエイジング」について考えていく上で対照的であることが、個人的にじつに面白いと思ったのです。>

アンチエイジングという反抗と対立

「日焼け止め」を使用する目的は「紫外線対策」であり、それは「太陽」を全面的に拒むということです。

「アンチエイジング」というのは「抗老化」のことであり、それは「老いること、病むこと、死ぬこと」への反抗であり抵抗です。

「紫外線対策」をする人たちがなぜ「紫外線」を防ぎたいかというと、それは、「紫外線」によってもたらされる、シミ、シワ、そばかす、たるみ、くすみなどといった皮膚の上にあらわれる諸症状による外見の「老化」や、また、紫外線が原因になって罹患すると言われている「皮膚がん」を避けるためであると言われています。

「皮膚がん」「病」であると同時に最悪の場合「死」へと繋がっていることは言うまでもありません。

この点を考える限りにおいて、「日焼け止めを塗って紫外線を拒否する」という行為は「アンチエイジング」と直結しています。

つまり、「日焼け止めを使用したアンチエイジング」というのは、「シッダールタの出自である太陽というルーツと、終生続けられた悟りのための四苦を見据えた生」の真逆に進むという行為であるわけです。これはなかなか興味深いことであると私には感じられます。

アンチエイジングへと人をうながす欲望

「健康」を盾にとった「肌の美白」というやりかたで「アンチエイジング」が覇権をとりつつある現在の状況は、シッダールタの悟りから二千六百年が経過した末にシッダールタがついに敗北した、ということを意味するのかどうか。それは、私には判別しかねます。

ですが、「日焼け止めを使ったアンチエイジング」という選択が、シッダールタ的な意味における「悟り」からすると「退行」であり「逃避」であることは確かであり、疑うことはできないでしょう。

アンチエイジングのための日焼け止めのランキングというのは、いわば「シッダールタ的な意味での悟りから遠ざかるための反抗アイテムのランキング」であると言うことができるでしょう。

「生病老死」の苦悩を引き受けて生きるということは、やはり、非常に苦しい営みであります。それは、一生涯をかけて取り組むには、あまりにも苦しく、できれば目を背けたくなるような真実です。

できれば苦悩なしに生きたい。永遠に若々しくいたい。病気になりたくない。そして、死にたくはない。あまりにも辛く厳しい苦悩に満ちた「真実」を前にしたとき、人のなかにこのような「欲望」が生じてくるのは当然のことであり、このような「欲望」が生じてくるからこそ、その「欲望」を見据えて乗り越えるためにシッダールタは妻子と地位を捨ててでも出家を必要としたのです。

よりよく生きるための適度なアンチエイジングについて

よりよく生きるための適度なアンチエイジングについて

「アンチエイジング」という潮流は、このあたりの人の「弱さ」「堪え性のなさ」「四苦」によってどうしても生じてしまう「欲望」をうまくついていると私には感じられます。

誰もが病気になれば治療を試みてなるべく死なないように配慮するのですし、そもそも病気にならないように日常的に予防をするのですし、その予防のためには食生活の改善などが有効であり、それらの食生活の改善は若さの維持へと繋がっています。

「出家かアンチエイジングか」というような極端な二択に問われることはまずないと思いますが、なんとなくボンヤリと生きていくなかで、人は「出家」よりは、このような、日常的な「アンチエイジング」に通ずる道を知らず知らずのうちに選択している場合がほとんどであるように思います。
「生老病死」という考え方から導かれるライフスタイルは「なるべく老いのスピードをあげて病気にもかかりまくって早死にしましょう」というようなものではありません。それは「老い、病、死とともに生きる」ことを目指しているのであって、「苦しみを見据えてよりよく生きること」を否定するものではありません。

「アンチエイジング」が、「よりよく生きる」ための「無理のない健康の維持」「生老病死との共存を見据えた暮らし」という地点にとどまる分には、私も、何の問題もないと思います。

しかし、難しいのは、「アンチエイジング」がある一線を超えて「無理のある若返り」を志向しはじめる瞬間です。

一線を超えた強迫観念的なアンチエイジングについて

その一線を超えた瞬間から「アンチエイジング」「生老病死」と寄り添いともに歩くものではなくなり、「生老病死」と対立して、「生老病死」の苦悩や避けがたい宿命からもたらされる不安と恐怖を煽り立てる役割を、「欲望」の弱い部分をつきながら開始することになります。

「日焼け止めによるアンチエイジング」というものは、この「一線」を超えてしまった、「欲望」を刺激して人々の不安や恐怖をあおる側の「アンチエイジング」であると私は考えています。

前述したように、「日焼け止め」というものは「紫外線」から肌を守るために使用されるのであって、その主要な目的は「紫外線」による肌のダメージからくる「老化」を防ぐというものです。

「日焼け止めによるアンチエイジング」をおすすめする層は、「紫外線を浴びることは『皮膚がん』に繋がっているのだ」ということを声高に主張し、人々の「老化」ばかりでなく、「病」からもたらされる「死」の恐怖をも煽り立てます。

日焼け止めは老化と病気をまねきかねない化粧品である

「老化」「皮膚がん」「死」も恐ろしいものです。もし、それらすべてが「日焼け止め」によって防げるというのであれば、人々が「日焼け止め」に殺到し、病的なまでに「アンチエイジング」を試みるのも仕方のないことであるといえますし、「アンチエイジングに有効な日焼け止め」のランキングにすがる気持ちもわからないではありません。

しかし、ここで忘れてはならないのは、「日焼け止め」「医薬品」ではなく「化粧品」であるということです。また、「日焼け止め」というものは、「紫外線」を防ぐ役割だけはありますが、それ以外の点においては「肌」にダメージを与える化学成分がふんだんに使われているということも見逃すことができません。

「日焼け止めを使用したアンチエイジング」のためのランキングなどは、「紫外線」によってもたらされる「肌」「老化」「病」などについては主張しますが、「紫外線」ではない「日焼け止め」によってもたらされる「肌」「老化」「病」については口をつむぐ傾向にあります。

日焼け止めには、「発ガン性物質」「環境ホルモン」が含まれています。日焼け止めを使えば、確かに「紫外線」による肌のダメージを防ぐことはできるのかもしれません。しかし、日焼け止めは「紫外線」以外の肌のダメージは軽減せず、むしろそれを蓄積するものです。

日焼け止めによるアンチエイジングの矛盾と破綻

「日焼け止めを使用したアンチエイジング」は、「アンチエイジング」として「矛盾」を抱えていると言わざるをえません。もっというならば「破綻」していると言い切ってもいいでしょう。

「紫外線」という観点からのみ見れば、確かに「日焼け止め」「アンチエイジング」として有効なのかもしれません。

ですが、化学物質などがふんだんに含まれている化粧品でしかない「日焼け止め」という観点から見ると、肌の「老い」や皮膚がん以外の様々ながんの可能性やリスクも含んだ「病」へと繋がっている「日焼け止め」は、とても「アンチエイジング」とはいうことができません。

「日焼け止めを使用したアンチエイジング」の矛盾というのは、「アンチエイジング」を目的にした使用を通して「生老病死」から眼をそむけさせながら、「死」へと接近する「老」「病」の原因を身体に蓄積させ、肌の上の「老」の進行と、皮膚の表面や身体の内部を問わない「病」の発症を促すところにあります。

日焼け止めを使用するアンチエイジングのランキングは、これらの「矛盾」「破綻」を隠蔽します。

安易なアンチエイジングの先を見据えて

ランキングを見るもの、日焼け止めを使用する者に求められるのは、これらの「矛盾」「破綻」に気づき、安易な「アンチエイジング」に飛びつくのではなく、「生老病死を受け入れたうえでよりよく生きていくために日焼け止めは果たして必要なのかどうか」という問いではないでしょうか。

「出家かアンチエイジングか」というのは極端な問いだ、と書きましたが、これを日焼け止めに引き寄せて考えますと、決して極端な問いではないと思います。

いたずらに「老化」を恐れて「アンチエイジング」に飛びついて過剰に日焼け止めを塗りたくるのか、多少の「紫外線」は人にとって必要なものと受け入れて加齢とともに訪れる「老い」を受け入れていくのか。

このささやかな見極めにおいて、「アンチエイジング」への強迫観念を軽減させ、自らの皮膚に適量の紫外線がさらされることを許す、という選択をとることは、私は、日常を少しだけシッダールタの「出家」方面へと引き寄せ、シッダールタの「悟り」へ近づくことであると考えています。

長時間直射日光を浴びる苦行は避けがほうがよい

最後になりますが、シッダールタは「苦行をすれば悟りがひらける」という考え方を、当時流行していた苦行の修行を一通り経験した上で批判し、退けました。

この批判の直前にシッダールタが経験した苦行のなかには、なんと「太陽の直射日光を浴びる修行」というものが含まれていました。

私は、その「太陽の直射日光を浴びる修行」という苦行を行っていたときのシッダールタの肌の上にだけは、そっと日焼け止めを塗ってあげたかったと、「アンチエイジングの日焼け止めのランキング」にまつわる虚偽について考えているときに、ふと思わされることがあります。

アンチエイジングのために日焼け止めを使用する必要はありませんが、「苦行」をどうしても避けられないときは日焼け止めを使用して皮膚を守るべきだと私は考えています。

シッダールタは「長く隠すことができない三つのものがある。太陽、月、そして真実だ」という言葉を残しています。

そのシッダールタの言葉を踏まえると、「日焼け止め」を使用することになる人が参照するべきランキングは、「アンチエイジングのための日焼け止めのランキング」ではなくて、「長時間にわたって直射日光を浴びる可能性があるシチュエーションのなかでやむなく利用する場合の日焼け止めのランキング」ということになるのではないでしょうか。